心の治療の実際・19「心の治療雑感 :経脈の流注の方向」

本日述べた心心包の病の類型はいくつかありますが、煎じ詰めればすべてこう
した陽気の循環障害である、とも言えるわけです。こうして相火論から説き起こ
してみれば、心の治療が無いのはおかしい、というより、是非、心、心包の治療
を行って、この天然の陽気循環理論を治療に応用したいという気持ちになってき
ます。
(5) 経脈の流注の方向
「なかなか心の適応を見いだせない」という話をよく聞きます。経を軽擦しで
も脈が良い変化をしないのであれば、そう思うのも無理はありません。心という
よりは肺虚も含めて手の陰経が主証になることが極端に少ないのであれば、流注
の方向に関する以下の様な意見も知っておいて良いかと思います。
我々が学校で習う経脈の知識は、元代の滑寿が書いた本『十四経発揮Jに基づ
いた十二経絡循環理論に沿った説明になっています。その為手、陰経は遠心的に
流れており、足の陰経は求心的に流れています。
しかし、『素問jr霊枢』を始めとした原典の諸編では必ずしも十二経脈は巡航
していません。例えば『霊枢』邪客編、根結編、衛気編、五輪穴論等の諸編では
手の陰経は求心的に流れています。原典全体を眺めても手の陰経は遠心的に流れるより求心的に流れているとする文章の方が多いぐらいである、と内経学会の先生も言っています。
この問題はテキスト作成の際に話題になりました。馬王堆文書でも手の陰経は
求心的に流れています。例会の実技の際、実際に皆で求心、遠心の両方を軽擦し
てみたこともありますが、はっきりとした結論は出ませんでした。
私は今でも手の陰経が求心性なのか遠心性なのか、そもそもすべての人は経絡
は皆一様に流れているのか、確信を持てないままでいます。しかし、こうした問
題がある以上、軽擦の方向には慎重です。あまり軽擦を熱心にやっていると逆流
で乱れてしまう場合もあるかと思っています。「これはどうか」という時は軽擦
して、良くない時は求心的に流してみるか、軽擦をせずにいきなり経穴を触って
みると思いがけず良い反応をする場合もあります。肺虚も同じ理屈です。肺虚証
は色々な場面で現れるとても使い勝手の良い証だと思います。こうしたことを知
らないと肺虚も心虚も出番が少なくなり、極端に言えば足の3陰経を主証とする
治療が多くなる可能性もあるかもしれません。

 

「黄帝岐伯に説いて日く、余願わくば聞かん、(中略)脈の屈折、出入の処、駕くに
至りて出で、駕くに至りて止まり」(『霊枢』邪客編)

2016年5月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : izumido