漢方鍼医会の脈診06

dscn0095

ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

Ⅴ.結語

脈診上達への道は古典への信頼の上に築かれるとされる。それは難経の時代にある種完成された鍼灸術があり、脈診を極めることでその頂きへ誘われていくのだ、というストーリーへの信頼である。逆に疑い多く信念不確かな態度で学習を続けても上達することは難しいのではないか。本会の中ではその様に語られることが多い。

しかし一方で会としては常に初学者へわかりやすい教え方を工夫し、決して名人にならなければ役に立たない技術ではない事を教え励ましていくことが肝要であると考えている。

例えばこれらの脈診法は全てをマスターしなければ全く用を足さないというものでは無く、脈診というものをいくつかの切り口に分けて解説をしているものであるから、理解出来た切り口から臨床に用いれば良いのである。

本会の研究会の際にはそれぞれの脈診に関して知識を整理したり、また細かい分析を試みたりして意識の中に各種脈診を際だたせるわけだが、治療室の診察においてはまずは無心に六部を診て瞬間的に最も印象に残る点、違和感を与える点を感じ取り「右手寸口が沈んでいるな」「左手関上の弦脈の固さは相当なものだ」「夏の暑いさなかに駅から歩いてきてこんなに脈全体が沈んでいるとは・・」といった具合に受け止めて、その一点を選経選穴の手がかりとする、そういった応用の仕方から始めて良いのだと指導している。

また検脈の技術は診断としての脈診よりも修得が容易で、治療への応用も理解しやすい。

入会して一年も経てばかなり正確に「脈状が改善したかどうか」を言い当てられるようになる者は多い。改善と認めたならさらに一歩進め、改善が感じられなければ一歩下がって再考する。こうした治療のプロセスを身につけることで、脈診による鍼灸治療という日本独自の鍼灸術を身につけつつあるという実感が湧いて来ることだろう。

東洋医学の気血津液運行のメカニズムは詳細に語れば壮大なストーリーとなるが、診察室のベッドサイドで鍼灸の臨床家が知りたいことは、どこへ鍼先を下ろすべきかという一点に尽きる。本会の場合で言えば選経選穴につながる陰陽と五行の盛衰を伺うことが脈診の目的、と言えるのではないだろうか。

他の診察法との兼ね合いは如何?とのお尋ねだが、もちろん治療全体は望聞問切の四診を総合した判断によることは大前提であり脈診のみによって診断しているわけではない。四診のいずれをどの程度重視して治療を進めるかは治療のケースにもよるし、また会員個人の傾向の違いもあり一概には言いがたい。いずれにしても六部定位脈診による診断は要であるし、又選経選穴から一本の鍼を施術する全ての段階において検脈を行い評価しつつ治療を進めるという手順は全会員に共通している。

また本会の特徴は何か?という点だが、意外と答えにくい質問と感じつつ筆を進めてきた。残念ながら私自身は他の会の先生方とは限られた範囲の交流しか持ってこなかったので、何が本会だけの特徴であるかがよくわからない。

難経に基礎を置く五臓脈診などは経絡治療諸派で広く行われている可能性がある。難経五難に基づく菽法脈診はあまり注目されていないのではないか。検脈に関しても行っている会はあると思うが腹診や肩上部等にも観察の対象を拡大して行っている会は少ないのではないかと思う。

 

運営面で言えば本会の特徴は「流祖無き会」として絶対的な権威を持った人物がいないことである。また会則で「学術を固定化せず」「互いに臨床家としての人格を尊重すること」を掲げているが、それが常に前進し変化することを良しとする気風、研究を発表しあって互いから学び会うことを喜びとする独特の雰囲気を生んでいる。

こうした脈診技術も良い発見があれば発表され、多くの会員が認めればやがてテキストにも掲載されていく。こうしたシステムがあること自体が本会の個性ではないかと自負している。

漢方鍼医会の脈診05

dsc_0728

ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

 

Ⅳ.脈診による治験例

日時:平成28年5月18日

患者:30才男性

主訴:アトピー性皮膚炎

経過:幼少期から重度のアトピー性皮膚炎があり、全身に炎症とかゆみがある。4年前が初診でその後の治療を通してかなりの改善を見た。当初は炎症は重度で体液がもれて治療着やシーツを濡らすこともしばしばであったが、今はそこまで悪化する事はなくなりかゆみもさほどではなくなった。時に悪化して来院する位である。

今回はゴールデンウイーク後から悪化し、顔が赤くほてり、手足に発赤した炎症が出現し、かゆみが高まってポリポリとかきながら来院した。

夜になるとかゆみが高まり、寝付きにくく、眠りが浅く疲れやすい。

 

四診:体は155センチぐらいでやや小柄。色は赤黒く長年の皮膚炎の後遺症と思われる。

話し方はやや早口で時に声が裏返り内面の強い緊張を伺わせる。しかし声はハキハキと若者らしく力があり、胃の気は健在で回復力はありと診る。

腹診では表面ざらつき有り若干の気虚。全体にタプタプして水気多く又下腹部の弱さは腎虚と診る。臍の周囲冷たく、胸部に強い熱感があるのは心熱有りと診る。

 

脈診:総按にて祖脈は浮、数、実 単按にては左手寸口散大。左手尺中も浮。浅く皮毛の部に指を浮かせて左手寸口表面の散脈を火邪の現れと診る。立夏を過ぎているので脈が浮いて力強いのは順であるようにも見えるがあまりに強く浮いているのは病脈即ち火邪の現れと診る。しかし全体的に脈は精気が感じられ胃の気は健在と診る。

 

診断:腎虚心実と診断。脈状が浮数であることを考慮し、腑病と診て陰臓ではなく小腸、三焦、膀胱経等の陽腑から触診する。

 

治療:単按にて脈を確保しつつもう片方の手で患者の経脈を軽擦。まずは小腸経、三焦経の原穴付近を軽擦して脈状の変化を比較。小腸経の方が脈状が緩やかになることを確認し、小腸経を選経。さらに穴を探り経火穴陽谷に触れた時最も左手尺中の散大の脈状の改善を診たことで同穴を選穴。本日が5月中旬で六気で言う二之気少陰君火の季節であることからも、季節に沿った選経、選穴となった。

陽谷穴に営気の手法を施し脈状を観察すると左手尺中の浮きが気になる。さらに脈診しつつ膀胱経を軽擦し、経火穴崑崙に触れた時にぐっと沈んでくる感じを得たので、同穴を取穴し営気の手法を施した。

 

標治法として背部兪穴心兪、腎兪、小腸兪、膀胱兪穴を中心に補鍼。さらに上半身の熱を下へ引くこと目的に下肢の膀胱経諸穴にも補鍼をした。

治療後祖脈は沈んで中位にまとまり数脈も解消した。左手尺中は適度な浮脈となり尺中も沈んで菽法の観点からも理想的な脈形に近づいた。

腹診では表面がつるりとして艶が出てタプタプした水も流れいくぶん引き締まった感じが出ている。臍周辺の冷えは解消されその分胸部との熱感の差は小さくなった。

本人に聞くと上半身全体の火照りが解消し、全身のかゆみがずいぶん治まって楽になったとの事で治療を終えた。

漢方鍼医会の脈診04

dsc_0721

ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

7.検脈

脈診は診断にのみ用いるわけではなく、治療の過程が正しいものであるかを確認する手段でもある。選経の際は選んだ経脈を静かに軽擦しながらもう片手で脈状を観察し、選穴の際は選んだ経穴に指先をそっと当てながら同様に脈状を観察する。選経や選穴が正しければ、脈状は和緩を帯びた艶のある脈へと向かう等病脈の改善を伴う良い変化が感じられる。良い変化は脈診のみで感知できるというわけではない。腹診や尺膚診における皮膚のはりや艶の改善、また肩上部における緊張の緩和といった点を観察しても感知しうることである。本会には脈診、腹診、肩上部の触診を指して「三点セット」と呼んで治療が正しい方向へ進んでいるかを確認する三つの指標とする考え方もある。

検脈の技術は伝統的な診察術としての脈診とはやや性格が異なるものであるかもしれないが、毎回の施術を丁寧に良い方向へと進めていく為に欠かせない技術であり、これ無くして短時間で多数の患者を正確に施術することはとても無理である。その臨床的な価値は高いと思っている。

 

 

Ⅲ.脈診の手順

1.施術において

術者は患者の左側に立ち、患者の手首の六部に触れて脈診を行う。両手を同時に診ることを総按という。全体の脈状を観察することに優れているとされる。片手を順々に診ることを単按という。六部個別の脈状を診ることに優れているとされる。

(写真01.02)

dsc_0689-1

dsc_0690

 

又検脈の際は片手で経を軽擦しつつ図のようにもう一方の手で脈診を行い、その変化を観察する。

(写真03)

dsc_0693

 

2.研究会において

モデル患者をベッドの上に仰臥位させ一人が選経、選穴、施術を行うのを小班の他の会員が脈診、腹診、肩上部の変化を確認しつつ観察している。

(写真04)

dsc_0698

dsc_0695

 

漢方鍼医会の脈診03

dsc_0712

ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

4.祖脈診

脈状の基本は王叔和が著した「脈経」の二十四脈を基礎としこれに「長・牢・短」の三脈を加えた「瀕湖脈学」を意識する場合もある。

本会の研究会では一般的には「難経」諸篇の記述から「浮・沈・遅・数・虚・実・滑・濇」を祖脈として扱い、モデル患者の脈状の評価に用いている。病位や邪の種類を推し量ると同時に五臓の虚実にも通じる重要な要素とする。

(1)浮沈・・軽く指を当てて感じる脈が浮脈、ある程度力を加えて始めて感じるならば沈脈とします。浮脈は病が陽位(皮毛部や陽腑の経脈)にある事を示し沈脈は病が陰位(筋骨や陰臓の経脈)にあることを示す。

(2)遅数・・術者の1呼吸中に脈数が4、5動するものを平とし、それより多い場合は数、少ない場合は遅とする。数は陽に属し熱や腑病を、遅は陰に属し冷えや臓病を現す。

(3)虚実・・指に力強く打つ場合が実で、弱く打つ場合は虚である。実は陽に属し外邪に犯されて発病する場合に現れることが多く、虚は陰に属し、精気が不足した状態の時に現れる。

(4)滑濇・・滑は脈の打ち方が滑らかで玉を転がすような感じを受け、濇は打ち方が滑らかでなく、渋々打ってくる感じである。滑は陽に属し、発熱、血実等の病変を現すとされるが健康者にも診られる。濇は陰に属し、気の不足あるいは気血津液共に不足の場合に現れる。これらは、予後の判定にも応用できる脈状である。

 

5.五臓脈診

五臓の正脈については『難経』四難や五難等で説明されている。四難の前段では、五臓の正脈を説明し、五難では菽法脈診法の実際において、指圧を豆の重さで説明している。それに従えば、肺の脈は浮、濇、短で三菽、心の脈は浮、大、散で六菽、脾の脈は緩で九菽、肝の脈は弦、軟で十二菽、腎と命門の脈は沈、軟、滑で十五菽となる。

いずれもこうした脈状が適切に打っていれば正常脈、過大であれば病脈と見る。選経の際の最も大きな手がかりの一つとなる。

 

6.邪の脈診

先ずは3菽即ち皮毛の部位を中心として病脈を探し、触れたならばその部位に応じた邪が実していると診断する。右手寸口は金邪、右手関上は土邪、左手寸口は火邪、左手関上は木邪、左手尺中は水邪とする。また選穴にあらず選経なりと捉える考え方もありその場合は六部定位による各部陽経の変動と捉える。

 

 

漢方鍼医会の脈診02

dsc_0707

ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

2.菽法脈診

菽法脈診は難経五難・十八難の記述に基づく。菽とは豆粒の重さのことであり、指の抑える重さを豆粒の重さで表現したものである。具体的には六部定位における各部の脈の有りどころの深さの基準を示したもの、と解釈している。

(1)右手寸口の三菽は肺の見所で皮毛の深さ。

(2)左手寸口の六菽は心の見所で血脉の深さ。

(3)右手関上の九菽は脾の見所で肌肉の深さ。

(4)左手関上の十二菽は肝の見所で筋の深さ。

(5)両手尺中の十五菽は腎と命門の見所で骨の深さ。

本会では初学者に早い段階でこの診脈法を教えることになっている。手をとって実際に三菽から順にその重さで抑え体で覚えてもらっている。総じて右手は左手よりも浅いところに見所があること、寸口から尺中に向かってなだらかに沈み込んでいく脈形が良い形である事を理解してもらっている。理想的な脈形にすることで治療の過程において今良い方向に向かいつつあるかどうかを判定する基準の一つとなっている。

 

3.四時の旺脈

『難経』十五難では四時の旺脈としての正常脈が説明されている。なお、四時は春夏秋冬のことである。人は自然界の中で生かされていると言うのが中国哲学の考え方である。人の体は自然界の移り変わりに従って順応しており、順応出来なければ病むのである。季節に順応する脈は旺脈が適度に混じっている脈であり、強く出ていたり弱すぎたりすれば、季節に適応できていない状態と診る。各季節の旺脈は以下の通りである。

(1)春・・春の脈を弦脈。弦脈は春の気を受けて、やや緊張感が有り、未だ浮ききれずやや沈んでいて、まだ盛大にも成れず細めの脈である。弦が著明な場合は、大過であり病脈である。逆に弦の現われ方が弱すぎれば不及であり季節に応じられずにいる脈である。

(2)夏・・夏の脈を鉤脈。夏の脈は盛大な陽気を受けて、太く力強く皮下から湧き上がるように打つ脈である。鉤があまりにも鮮明で、しかも堅さがあったり、拍動の振幅が大きすぎる場合は大過である。逆に太さと力強さが足りず、振幅が小さい場合は不及であり季節に応じられずにいることを示す。

(3)秋・・秋の脈の毛脈の毛は「毫毛」。毫毛は細く、軟らかい毛であり、堅い毛ではない。軟らかく細めでふわふわとした手触りの毛である。秋の脈は浮いてはいるものの、夏の鉤脈のような力強さは無く、細く、波形の短い脈となる。そして拍動が滑らかに来ないので、浮にして短渋と言う表現になる。この毛脈も堅さと渋りが極端になれば大過の脈であり、沈みぎみで緩んでいれば、不及の脈で季節に応じきれないでいる脈である。

(4)冬・・冬の脈の石脈は、自然界の陰気を受けて皮下に堅く沈んでいる脈であり、石ころのような丸みのある拍動である。極端に堅い場合は大過の脈であり、沈みきれず柔らかければ不及の脈で、季節に応じきれないでいる脈である。

漢方鍼医会の脈診01

dsc_0699

医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号より

漢方鍼医会会長 隅田真徳

略歴

1963年 福岡県生まれ

1983年 東洋鍼灸専門学校入学

1985年 東京高円寺の巽堂新井はり灸院 へ入門

1986年 東洋鍼灸専門学校卒業

1989年 巽堂を退社

中国の上海中医学院(現 上海中医薬大学)へ3年間留学

1992年 同校卒業。中国から帰国
1993年 横浜市JR石川町駅前に「泉堂はり灸院」開院。同時に漢方鍼医会入会

1999年 横浜市JR関内駅前へ拡張移転

2016年 漢方鍼医会 会長就任

 

 

Ⅰ.脈診総論 本会では長年素問・霊枢・難経といった原典諸篇を教科書として古典に基づく鍼灸治療の構築を目指して学習を行ってきた。今回お尋ねの脈診についてだが我々の行う「漢方鍼治療」の臨床において六部定位脈診は大変重要な位置を占めている。まず精気の盛衰、臓の虚実、邪の種類の鑑別といった診察を通して選経、選穴を決定する手段であり、又自分が行った一つ一つの手技の適否を判断する基準である。大海を征く船乗りにとって港に帰りつくためには各種のナビゲーションが欠かせないように、治療を良い結果に導く一筋の光が脈であり、我々が脈診にこだわる理由はそこにある。本来脈診は膨大な内容を基礎とするものだが、今回はページの都合等有り、簡略的に解説していくこととする。

 

Ⅱ.各種脈診法

1.胃の気脈診

胃の気とは生命を維持する力であり、また生命力そのもののことである。古典にも「胃の気有る者は生き・・胃の気少なきを病という・・胃の気無きを死という」とあるように、まずは患者の生命力の充実具合を観察することで、病の軽重、治療ドーゼの適応、予後の良否等を推し量る。

胃の気豊かな脈とは菽法に適った寸・関・尺三部の並び、穏やかな和緩と艶を帯びた脈状の中に季節への柔軟な適応を感じさせる生き生きとした感じであろう。こうした理想的な状態から遠ざかるほど胃の気が少ないとして判断する。

胃の気の充実は脈診だけで伺いうる事ではない。望診においては顔色や肌の艶、聞診においては声の艶や大小、切診でも皮毛、肌肉の艶と柔軟さは有力な判断の材料であるし、問診においてハキハキとした応答や前向きで積極的な思考があればそれも胃の気の充実として捉えて良いと考える。

実際の治療の流れの中では胃の気が治療開始の時点よりも充実することを基準としてその日の治療終了の目安としたり、本治法で整えた胃の気のある脈状が崩れない程度に標治法を終えるといったドーゼの指標でもあると捉えている。

鍼灸聚英にみる心の病症と配穴07:まとめ

ー平成24年8月 漢方鍼医会夏季学術研修会における発表よりー

問:隅田先生は臨床的に心虚証を証明され、臨床で、使っていらっしゃると思うので
すが、そこに至るまでのこと、「心虚証」という考えに至った経緯を教えていただき
たい。

隅田:そもそもは、本治法の際、主証としていきなり「心、心包」を触るということ
は以前から一部の会員の中で行われていました。私も以前にある先生から治療してい
ただいたときに心包から腎と行き、とても結果が良かったことがあり、それ以来、強
く関心を持ち実践してきました。その先生によると「こういう事もあるということ
さー。あはははー」ということで、やはり「心に虚無し」の呪縛が強いのか、それ以
上理論的には踏み込んでいないご様子でした。テキスト編成の際に、中国では「心に

虚無し」いう言葉が無いこと。中国古典では心、心包の経穴を積極的に用いているこ
と、国内の古典鍼灸家にも心虚証の存在を既に認めている人が結構いることなどが話
題となり、本会も、いつもでもこのままでは良くないだろうと思い発表に至りまし
た。昨年の発表に関しては、詳しいことは『漢方誠医30号』に掲載されておりますの
でご覧下さい。
まとめ
治療をしていて一番多いのは、腎との絡みだと思います。池田政一先生は、心は
「腎虚心実」しかないと言われていました。心独自のものよりも、やはり腎との関係
だと思います。加齢とともに腎虚になり水が枯れてくると、自然と体は熱を持ちやす
い状態となり、水火の交わりが出来なくなり、熱は益々高ぶった状態になります。こ
のように、徐々に熱症状になります。今までの本会の理解だと、「これは陰虚であ
る。虚熱が上がっている。」と判断します。そして、腎をどうするのか、肝血を潤
すのかというような判断をしていたと思います。

しかし、色々な文献を読んでみると、この方法だと片手落ちの印象があります。熱が上がって来ているという時は、その熱に対処する必要があります。清熱をするという直接的な対応も必要だと思いま
す。薬方の方では、そのような薬は非常に多くあります。誠灸でそれを行うならば、
心を潟す方法です。ですから、今まで心熱ということが分かつていても、それは腎水
を補えば自然と治まるということで、腎で心をコントロールしていました。しかし、
心を潟すことで、その熱が腎陽を補っているように腎をしっかりさせていきます。そ
して、加齢とともに衰えてきた腎の陽気も活発になると思います。その結果、腎水も
補われるということです。

そのカギは、「心は腎を支配する」ということです。原文
では「心主腎」とあります。この考え方が、実際の臨床の中では多いと思います。病
証としては、腰が痛い、足が冷える、頻尿などに対しては腎の弱りである。一方で胸
に熱を持っていて、眠りが浅い、頭痛などのように熱の症状を現している。この熱と
いうのは、冷えに比べて「これは心の熱である」とか「この熱は肺の熱である」とか
判断がしにくいものです。このような症状は、どこの熱でも現れる症状だからです。
熱は上に上がってくれば熱なのです。どこから上がってくるかとか、関係なく悪さを
するわけです。非常に分かりにくいですが、足が冷える症状や腰が痛いといった腎虚
の症状に対して、心から手を付けたり、心だけに手を付けた方が良い場合が、非常に_
多く隠れていたと思います。私が調べた結果では、この「心主腎」は『素問』『霊
枢』『十四経発揮』にも書かれていないもので、私の臨床の中での実感として特徴的
なものだったということを強調しておきます。

鍼灸聚英にみる心の病症と配穴06:心虚証

ー平成24年8月 漢方鍼医会夏季学術研修会における発表よりー

問:心虚証という治療法があってもいいと、確かに思う。しかし、今までの経絡治
療に置いては、当日の説明では江戸時代から心虚証は避けられていたのに、脾虚証と
して心包経を一緒に用いるなどして治療はされていたことになります。対処できてい
なければ、その時代からも心虚証は採用せざるを得なかったはずです。それを今、心
虚証として取り上げる意味をもう一度説明してください。
隅田:我々は古典治療を標榜しているとはいえ、実際には常に過去の治療を見直し、
時代に即した新しい形に誠灸をリフォームし続けていると認識しています。不足を補
い、誤りを正すのに何も遠慮することはありません。もしも、過去の治療を改善する
必要がないというならば、鍉鍼のみによる本治法、気血津液論による弁証、森本鍉鍼
も手にすることはなかったのではないでしょうか。また、誤解もありそうです。江戸
時代に心、心包の経穴はあまり使われていないようだ云々というのは、私が『鋪灸緊
英』と『誠灸重宝記』を読み比べた時にそう感じた、或いは「何だかそんな気がす
る」という程度のことです。本当のところは全く分かりません。そう、ご承知下さ
い。しかし、例えどうであれ『鍼灸緊英』を読んで感じて頂けたかと思いますが、過
去数千年の鍼灸家達は、心、心包の経穴を実に様々な病に使用してきました。それ
が、今回の発表で一番大切なことかとも思います。本会の治療に心虚証を取り入れる
ことは、決して過去を否定することではなく、むしろ大きな意味での古典誠灸の大道
への回帰となるのではないか、と捉えています。そして、私が理事会で「心虚証を公
式に認めて貰いたい」といったのは、そうすることで心虚証の研究が進み、より良い
治療体型の完成が近づくと考えたからですし、理事の皆さんからもこれといった反対
がでなかったのは、諸先生方も同じ気持ちだったからではないか、と思っています。

 

 

鍼灸聚英にみる心の病症と配穴05:心包経

ー平成24年8月 漢方鍼医会夏季学術研修会における発表よりー

問:心経が後から足されたわけですが、臨床では心包経を使い、心経は使
いませんか。
隅田:心経は歴代の医家たちが、その後2千年にわたって使ってきているわけですか
ら、使う意義はあると思います。その研究は、まだ十分ではありません。ただ1つに
は、実際の心臓病が進行している場合に、心包経よりも心経を使った方が良い場合が
あります。このことに関しては意識しています。

問:資料の中では手掌の熱ということが、特徴的に何度も出てきています。「心、
心包」を使うときに、この手掌の熱と左手寸口と関上の脈状に、何か特徴的なものが
ありましたら考えをよろしくお願いします。
隅田:特に手掌の熱に限ることはありません。基本的な心の脈状である浮、大、散の
脈であれば良いですが、大きすぎる浮、大の脈状ならば、「心、心包」を使っても良
いとは思います。

問:実際の治療室では、虚熱がとんで心臓病のような症状を呈することが多いよう
に感じている。
隅田:動悸、心痛は心虚証が適応する有力な分野だと思います。しかし、心の経絡は
上焦の熱を下焦へ送る働きをしていますので、探せばより広く心虚証を適用できる
ケースを発見出来ると思います。
問:資料にあげられた症状(精神、感情、循環器、呼吸器疾患など)は、心虚証と
して1つずつ現れるものではなく、熱があれば全部まとまって出てくると感じてい
る。
隅田:熱がどこに由来するモノであるかを見極めるのは、必ずしも簡単ではありませ
ん。しかし、四診を用いてよく観察すればそれは可能だと思います。また、心虚証の
適応は心熱だけに限っているわけではなく、上焦に漂う諸熱に対して広く適応すると
思われますので、是非試みて下さい。
問:心包は使えるが、心経には中々踏み込めない。心、心包の使い分けの目安につ
いて、発表以外で具体的な事例があれば是非教えてほしい。(地方組織研修会でも、
臨床上でも心包を使う事はある。脾虚の時が多いが、精神、身体症状が多い時に心包
を考える。身体症状が多く心身症が考えられる時など)心臓部の詰まりなどを目安に
している。新テキスト記載の是動病、所生病欄「心包=精神症状の記載あり、心=臓
そのものの病記載のみ精神症状記載なし」など、精神症状の有無は心、心包の使い分
け目安になるのかとの話から。)

隅田:「心、心包」の使いわけは私もまだまだ研究中で、あの際に発言した以上の情
報はもっていません。私は、普通は心包経を触り、次いで心経を触ります。やはり、
心包経の方が使い勝手が良いかな、と感じている程度です。精神症状の有無は気を付
けてみてみます。その他、何か発見があればお知らせ下さい。宜しくお願い致します。

鍼灸聚英にみる心の病症と配穴04:出血症状

ー平成24年8月 漢方鍼医会夏季学術研修会における発表よりー

問:出血症状というのは、心との病理関係ではどのような病理考察をされますか。
隅田:私の考えでは、やはり熱との関連性を考えます。過度の熱が入ると出血しやすい傾向に
なります。鼻血や吐血であれば、肺を中心とした呼吸器系に熱が波及していると捉え、吐血で
あれば胃に熱を持ち過ぎていると捉えることができます。
さらに、婦人科の出血や大小便の出血も腸以下に熱が波及していると捉えます。江戸時代
の日本の本では、「心、心包」はほとんど使われていません。日本の誠灸師が「心、心包」

を使わなくなったのは、随分古いのではないかという印象を受けます。それで
も、出血症状に対しては「心、心包」のツボが羅列されています。例えば『誠灸重宝
記』でもその傾向があります。「心、心包」のツボは、出血症状に対して外すことの
出来ないツボだったようです。

問:心と肺は相剋関係にあり、相剋治療が当てはまるのではないかと話し合いをし
ていました。相剋調整の治療は、本会ではあまり行われておらず、本会流でいえば剛
柔治療が当てはまると思いますが、隅田先生はこのことに関してどのようにお考えに
なられますか。
隅田:これは、五行で理解する考え方と五行を外す考え方との違いがあると思いま
す。この呼吸器の場合は、症状に対してのツボの使い方だと思います。馬王堆漢墓か
ら出てきた書籍は『素問』や『霊枢』以前の書籍ですが、その中に「両手を交えて茫茫喘咳咳す」という症状が書かれています。これは、心の是動病として書かれていました。
しかし、『素問』『霊枢』においては、肺の是動病として書かれています。このように、
同じ文章が心から肺に移っています。このことに関して『素問』『霊枢』以前
は、肺と心の病理があまり分かつていなかったのではないかと言われています。しか
し、現在我々が使っている心包経を呼吸器の病気に対して使っていたという単純な捉
え方で良いと思います。そういった、中程度以上の呼吸器病には、積極的に使われて
いたという単純な捉え方で良いと思います。

 

問:「心と心包」がなぜあるのか。「心と心包」を使い分けるきっかけがありますか。
隅田:先ほどの馬王堆の話ですと、『素問』『霊枢』以前は十一経絡しかなかったわけ
です。十一経絡しかなかったのを、だれかが1つ足したわけです。現在、我々が心包
経として使っている経絡が経として使っている経絡が、当時は心経だったわけです。そして、我々が心経として
承知している経絡が、古代にはなかったのです。ですから『霊枢』の中でも、繰り返
し心の原穴は「太陵」と書いてあります。これは、1970年代になって古い文書が出て
きたら、古来の経絡は十一経絡しかなかったわけです。当時は、現在我々が使ってい
る心包経が心の経だったわけです。だれかが1つ足したわけです。11を12にしたので
す。11ではキリが悪いわけです。単純な医術だったところに、色々な古代思想、が入っ
てきたわけです。陰陽理論が入ってくる。五行思想、が入ってくる。八卦が入ってく
る。そして、12という数字が入ってくるわけです。古来中国の中では、時間と空間を
12で区切ったわけです。ですから、方向も12方向。時間も12の時間です。1年も12か
月。そして、経絡も11ではキリが悪いため、だれかが12にしたわけです。そのため、
最後に現在我々が承知している心経を入れたというわけです。