横浜泉堂鍼灸院の鍼医ブログ

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漢方鍼医会の脈診06

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ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

Ⅴ.結語

脈診上達への道は古典への信頼の上に築かれるとされる。それは難経の時代にある種完成された鍼灸術があり、脈診を極めることでその頂きへ誘われていくのだ、というストーリーへの信頼である。逆に疑い多く信念不確かな態度で学習を続けても上達することは難しいのではないか。本会の中ではその様に語られることが多い。

しかし一方で会としては常に初学者へわかりやすい教え方を工夫し、決して名人にならなければ役に立たない技術ではない事を教え励ましていくことが肝要であると考えている。

例えばこれらの脈診法は全てをマスターしなければ全く用を足さないというものでは無く、脈診というものをいくつかの切り口に分けて解説をしているものであるから、理解出来た切り口から臨床に用いれば良いのである。

本会の研究会の際にはそれぞれの脈診に関して知識を整理したり、また細かい分析を試みたりして意識の中に各種脈診を際だたせるわけだが、治療室の診察においてはまずは無心に六部を診て瞬間的に最も印象に残る点、違和感を与える点を感じ取り「右手寸口が沈んでいるな」「左手関上の弦脈の固さは相当なものだ」「夏の暑いさなかに駅から歩いてきてこんなに脈全体が沈んでいるとは・・」といった具合に受け止めて、その一点を選経選穴の手がかりとする、そういった応用の仕方から始めて良いのだと指導している。

また検脈の技術は診断としての脈診よりも修得が容易で、治療への応用も理解しやすい。

入会して一年も経てばかなり正確に「脈状が改善したかどうか」を言い当てられるようになる者は多い。改善と認めたならさらに一歩進め、改善が感じられなければ一歩下がって再考する。こうした治療のプロセスを身につけることで、脈診による鍼灸治療という日本独自の鍼灸術を身につけつつあるという実感が湧いて来ることだろう。

東洋医学の気血津液運行のメカニズムは詳細に語れば壮大なストーリーとなるが、診察室のベッドサイドで鍼灸の臨床家が知りたいことは、どこへ鍼先を下ろすべきかという一点に尽きる。本会の場合で言えば選経選穴につながる陰陽と五行の盛衰を伺うことが脈診の目的、と言えるのではないだろうか。

他の診察法との兼ね合いは如何?とのお尋ねだが、もちろん治療全体は望聞問切の四診を総合した判断によることは大前提であり脈診のみによって診断しているわけではない。四診のいずれをどの程度重視して治療を進めるかは治療のケースにもよるし、また会員個人の傾向の違いもあり一概には言いがたい。いずれにしても六部定位脈診による診断は要であるし、又選経選穴から一本の鍼を施術する全ての段階において検脈を行い評価しつつ治療を進めるという手順は全会員に共通している。

また本会の特徴は何か?という点だが、意外と答えにくい質問と感じつつ筆を進めてきた。残念ながら私自身は他の会の先生方とは限られた範囲の交流しか持ってこなかったので、何が本会だけの特徴であるかがよくわからない。

難経に基礎を置く五臓脈診などは経絡治療諸派で広く行われている可能性がある。難経五難に基づく菽法脈診はあまり注目されていないのではないか。検脈に関しても行っている会はあると思うが腹診や肩上部等にも観察の対象を拡大して行っている会は少ないのではないかと思う。

 

運営面で言えば本会の特徴は「流祖無き会」として絶対的な権威を持った人物がいないことである。また会則で「学術を固定化せず」「互いに臨床家としての人格を尊重すること」を掲げているが、それが常に前進し変化することを良しとする気風、研究を発表しあって互いから学び会うことを喜びとする独特の雰囲気を生んでいる。

こうした脈診技術も良い発見があれば発表され、多くの会員が認めればやがてテキストにも掲載されていく。こうしたシステムがあること自体が本会の個性ではないかと自負している。

漢方鍼医会の脈診05

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ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

 

Ⅳ.脈診による治験例

日時:平成28年5月18日

患者:30才男性

主訴:アトピー性皮膚炎

経過:幼少期から重度のアトピー性皮膚炎があり、全身に炎症とかゆみがある。4年前が初診でその後の治療を通してかなりの改善を見た。当初は炎症は重度で体液がもれて治療着やシーツを濡らすこともしばしばであったが、今はそこまで悪化する事はなくなりかゆみもさほどではなくなった。時に悪化して来院する位である。

今回はゴールデンウイーク後から悪化し、顔が赤くほてり、手足に発赤した炎症が出現し、かゆみが高まってポリポリとかきながら来院した。

夜になるとかゆみが高まり、寝付きにくく、眠りが浅く疲れやすい。

 

四診:体は155センチぐらいでやや小柄。色は赤黒く長年の皮膚炎の後遺症と思われる。

話し方はやや早口で時に声が裏返り内面の強い緊張を伺わせる。しかし声はハキハキと若者らしく力があり、胃の気は健在で回復力はありと診る。

腹診では表面ざらつき有り若干の気虚。全体にタプタプして水気多く又下腹部の弱さは腎虚と診る。臍の周囲冷たく、胸部に強い熱感があるのは心熱有りと診る。

 

脈診:総按にて祖脈は浮、数、実 単按にては左手寸口散大。左手尺中も浮。浅く皮毛の部に指を浮かせて左手寸口表面の散脈を火邪の現れと診る。立夏を過ぎているので脈が浮いて力強いのは順であるようにも見えるがあまりに強く浮いているのは病脈即ち火邪の現れと診る。しかし全体的に脈は精気が感じられ胃の気は健在と診る。

 

診断:腎虚心実と診断。脈状が浮数であることを考慮し、腑病と診て陰臓ではなく小腸、三焦、膀胱経等の陽腑から触診する。

 

治療:単按にて脈を確保しつつもう片方の手で患者の経脈を軽擦。まずは小腸経、三焦経の原穴付近を軽擦して脈状の変化を比較。小腸経の方が脈状が緩やかになることを確認し、小腸経を選経。さらに穴を探り経火穴陽谷に触れた時最も左手尺中の散大の脈状の改善を診たことで同穴を選穴。本日が5月中旬で六気で言う二之気少陰君火の季節であることからも、季節に沿った選経、選穴となった。

陽谷穴に営気の手法を施し脈状を観察すると左手尺中の浮きが気になる。さらに脈診しつつ膀胱経を軽擦し、経火穴崑崙に触れた時にぐっと沈んでくる感じを得たので、同穴を取穴し営気の手法を施した。

 

標治法として背部兪穴心兪、腎兪、小腸兪、膀胱兪穴を中心に補鍼。さらに上半身の熱を下へ引くこと目的に下肢の膀胱経諸穴にも補鍼をした。

治療後祖脈は沈んで中位にまとまり数脈も解消した。左手尺中は適度な浮脈となり尺中も沈んで菽法の観点からも理想的な脈形に近づいた。

腹診では表面がつるりとして艶が出てタプタプした水も流れいくぶん引き締まった感じが出ている。臍周辺の冷えは解消されその分胸部との熱感の差は小さくなった。

本人に聞くと上半身全体の火照りが解消し、全身のかゆみがずいぶん治まって楽になったとの事で治療を終えた。

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ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

7.検脈

脈診は診断にのみ用いるわけではなく、治療の過程が正しいものであるかを確認する手段でもある。選経の際は選んだ経脈を静かに軽擦しながらもう片手で脈状を観察し、選穴の際は選んだ経穴に指先をそっと当てながら同様に脈状を観察する。選経や選穴が正しければ、脈状は和緩を帯びた艶のある脈へと向かう等病脈の改善を伴う良い変化が感じられる。良い変化は脈診のみで感知できるというわけではない。腹診や尺膚診における皮膚のはりや艶の改善、また肩上部における緊張の緩和といった点を観察しても感知しうることである。本会には脈診、腹診、肩上部の触診を指して「三点セット」と呼んで治療が正しい方向へ進んでいるかを確認する三つの指標とする考え方もある。

検脈の技術は伝統的な診察術としての脈診とはやや性格が異なるものであるかもしれないが、毎回の施術を丁寧に良い方向へと進めていく為に欠かせない技術であり、これ無くして短時間で多数の患者を正確に施術することはとても無理である。その臨床的な価値は高いと思っている。

 

 

Ⅲ.脈診の手順

1.施術において

術者は患者の左側に立ち、患者の手首の六部に触れて脈診を行う。両手を同時に診ることを総按という。全体の脈状を観察することに優れているとされる。片手を順々に診ることを単按という。六部個別の脈状を診ることに優れているとされる。

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又検脈の際は片手で経を軽擦しつつ図のようにもう一方の手で脈診を行い、その変化を観察する。

(写真03)

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2.研究会において

モデル患者をベッドの上に仰臥位させ一人が選経、選穴、施術を行うのを小班の他の会員が脈診、腹診、肩上部の変化を確認しつつ観察している。

(写真04)

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ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

4.祖脈診

脈状の基本は王叔和が著した「脈経」の二十四脈を基礎としこれに「長・牢・短」の三脈を加えた「瀕湖脈学」を意識する場合もある。

本会の研究会では一般的には「難経」諸篇の記述から「浮・沈・遅・数・虚・実・滑・濇」を祖脈として扱い、モデル患者の脈状の評価に用いている。病位や邪の種類を推し量ると同時に五臓の虚実にも通じる重要な要素とする。

(1)浮沈・・軽く指を当てて感じる脈が浮脈、ある程度力を加えて始めて感じるならば沈脈とします。浮脈は病が陽位(皮毛部や陽腑の経脈)にある事を示し沈脈は病が陰位(筋骨や陰臓の経脈)にあることを示す。

(2)遅数・・術者の1呼吸中に脈数が4、5動するものを平とし、それより多い場合は数、少ない場合は遅とする。数は陽に属し熱や腑病を、遅は陰に属し冷えや臓病を現す。

(3)虚実・・指に力強く打つ場合が実で、弱く打つ場合は虚である。実は陽に属し外邪に犯されて発病する場合に現れることが多く、虚は陰に属し、精気が不足した状態の時に現れる。

(4)滑濇・・滑は脈の打ち方が滑らかで玉を転がすような感じを受け、濇は打ち方が滑らかでなく、渋々打ってくる感じである。滑は陽に属し、発熱、血実等の病変を現すとされるが健康者にも診られる。濇は陰に属し、気の不足あるいは気血津液共に不足の場合に現れる。これらは、予後の判定にも応用できる脈状である。

 

5.五臓脈診

五臓の正脈については『難経』四難や五難等で説明されている。四難の前段では、五臓の正脈を説明し、五難では菽法脈診法の実際において、指圧を豆の重さで説明している。それに従えば、肺の脈は浮、濇、短で三菽、心の脈は浮、大、散で六菽、脾の脈は緩で九菽、肝の脈は弦、軟で十二菽、腎と命門の脈は沈、軟、滑で十五菽となる。

いずれもこうした脈状が適切に打っていれば正常脈、過大であれば病脈と見る。選経の際の最も大きな手がかりの一つとなる。

 

6.邪の脈診

先ずは3菽即ち皮毛の部位を中心として病脈を探し、触れたならばその部位に応じた邪が実していると診断する。右手寸口は金邪、右手関上は土邪、左手寸口は火邪、左手関上は木邪、左手尺中は水邪とする。また選穴にあらず選経なりと捉える考え方もありその場合は六部定位による各部陽経の変動と捉える。

 

 

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ー医道の日本投稿 「漢方鍼医会の脈診」:平成28年9月号よりー

2.菽法脈診

菽法脈診は難経五難・十八難の記述に基づく。菽とは豆粒の重さのことであり、指の抑える重さを豆粒の重さで表現したものである。具体的には六部定位における各部の脈の有りどころの深さの基準を示したもの、と解釈している。

(1)右手寸口の三菽は肺の見所で皮毛の深さ。

(2)左手寸口の六菽は心の見所で血脉の深さ。

(3)右手関上の九菽は脾の見所で肌肉の深さ。

(4)左手関上の十二菽は肝の見所で筋の深さ。

(5)両手尺中の十五菽は腎と命門の見所で骨の深さ。

本会では初学者に早い段階でこの診脈法を教えることになっている。手をとって実際に三菽から順にその重さで抑え体で覚えてもらっている。総じて右手は左手よりも浅いところに見所があること、寸口から尺中に向かってなだらかに沈み込んでいく脈形が良い形である事を理解してもらっている。理想的な脈形にすることで治療の過程において今良い方向に向かいつつあるかどうかを判定する基準の一つとなっている。

 

3.四時の旺脈

『難経』十五難では四時の旺脈としての正常脈が説明されている。なお、四時は春夏秋冬のことである。人は自然界の中で生かされていると言うのが中国哲学の考え方である。人の体は自然界の移り変わりに従って順応しており、順応出来なければ病むのである。季節に順応する脈は旺脈が適度に混じっている脈であり、強く出ていたり弱すぎたりすれば、季節に適応できていない状態と診る。各季節の旺脈は以下の通りである。

(1)春・・春の脈を弦脈。弦脈は春の気を受けて、やや緊張感が有り、未だ浮ききれずやや沈んでいて、まだ盛大にも成れず細めの脈である。弦が著明な場合は、大過であり病脈である。逆に弦の現われ方が弱すぎれば不及であり季節に応じられずにいる脈である。

(2)夏・・夏の脈を鉤脈。夏の脈は盛大な陽気を受けて、太く力強く皮下から湧き上がるように打つ脈である。鉤があまりにも鮮明で、しかも堅さがあったり、拍動の振幅が大きすぎる場合は大過である。逆に太さと力強さが足りず、振幅が小さい場合は不及であり季節に応じられずにいることを示す。

(3)秋・・秋の脈の毛脈の毛は「毫毛」。毫毛は細く、軟らかい毛であり、堅い毛ではない。軟らかく細めでふわふわとした手触りの毛である。秋の脈は浮いてはいるものの、夏の鉤脈のような力強さは無く、細く、波形の短い脈となる。そして拍動が滑らかに来ないので、浮にして短渋と言う表現になる。この毛脈も堅さと渋りが極端になれば大過の脈であり、沈みぎみで緩んでいれば、不及の脈で季節に応じきれないでいる脈である。

(4)冬・・冬の脈の石脈は、自然界の陰気を受けて皮下に堅く沈んでいる脈であり、石ころのような丸みのある拍動である。極端に堅い場合は大過の脈であり、沈みきれず柔らかければ不及の脈で、季節に応じきれないでいる脈である。