横浜市中区関内の鍼灸専門院 「泉堂はり灸院」

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2017年 漢方鍼医41号 巻頭言「難経本義諺解」

2018/04/11 | カテゴリー:最新情報, 横浜泉堂鍼灸院長の考えていること

  岡本一抱は江戸時代初期の医学者にして希有な古典研究家であった。母方は豊臣秀吉の侍医も勤めた医者の家系で自らも大和の小藩の侍医の家の養子となり、長じて京都の名医味岡三伯に弟子入りして学んだ。ちなみに次兄は人形浄瑠璃で有名な近松門左衛門。

生涯で多くの著作を為したが多くは古典医学書の解説書という意味で「諺解書」となっている。当時の医学書は日本人が書いたものであっても漢文で書かれたものが一般的だったが、彼の諺解書は仮名交じりの平易な日本語で書かれている。当時一般庶民が医者に掛かるようになり始めた世相の中で、多くの医者を志す若者達のために書いたという。古来日本では漢文で立派な文章を発表することは教養人としての格を示す効用があったことを思うと、彼が名誉を追わず実用を重んじる人物であった事が偲ばれる。

 又ある時兄の近松門左衛門に「おまえは古典の解説書を多く書いているそうだが、そうすると世間の人が古典を読まなくなると思うがおまえはその事に気がついているのか?」と問われ、それきり諺解書を書くことを辞めたとも伝わっている。素直な人でもあったのだろう。

 昨年「難経本義諺解」を買い求め、読み進めているが予想以上に良書であると感じる。まず経脈流注の問題のきっかけになった二十三難の「手三陰之脉 從手至胸中 長三尺五寸」であるが、西岡由記先生も『図説難経』の中で「手の三陰の脈は 手より胸中に至り たけ三尺五寸」と読む典型的な求心走行説の文章と捉えている。しかし漢代以前の求心走行説の存在を知らない古来の解釈家達は、皆この難の迎随の問題を無視するか、難経本義の滑伯仁にならって些細な理由によるものと解釈している。岡本一抱も結論は同じだがその注は丁寧である。滑伯仁が「手の陰経は胸から手に至るのだ」と主張した文には「しかし難経本文には手の陰経は手から胸に至ると記載されている。」同様に「本文には足の陽経は足から頭に至ると記載されている」と事実を押さえた上で、滑伯仁の十二経脈循環説に対しても「経脈の終始は常にかくの如くなるに、本文には皆手足より言い始めて異なるものは何ゆえぞや」と経文中の流注の矛盾をきちんと指摘し、この問題の存在を明らかなものとしている。

また七十二難は季節の陰陽を調整する鍼法の話だが、難経に従えば「春夏に深く刺し、秋冬には浅く刺す」という事になる。学習資料を作る際、これでは困るなと思っていたところ岡本一抱は「春夏は腎肝の部まで鍼を沈めると言ってもこれは浅中の深であり、秋冬は心肺の部に浮かせると言ってもこれは沈中の浮である。必ずしも心肺は皮膚の部、腎肝は筋骨の部という風に理解する必要は無い。」と注釈してくれていた。彼は我々漢方鍼医会と似た感性を持って鍼灸治療を行っていたように思えて嬉しくなった。本会の先生方も是非「難経本義諺解」を読み進めるようお勧めしたい。(視覚障害者の先生方には同書の音声ファイルが国会図書館のサイトからダウンロードできることをお知らせする。)

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