心虚証の研究・4「昭和の鍼灸家達の見方」

・では昭和以降の経絡治療家はどうでしょうか?全員が「心に虚無し」を主張し続けてきたのでしょうか?よく見ると、そうでもないようです。

本間祥白先生の『鍼灸病証学』41頁 「心病証 邪、心に在れば心痛を病む……腎、之を心病に伝え……心熱の者は、……」
「虚実 心は脈を蔵す、脈は神を舎す、心気虚すれば悲しみ、実すれば笑って休まず。心実すれば胸中痛み、…… 心虚すれば胸腹大、」

岡部素道先生の『鍼灸経絡治療』(昭和58年刊)
「それから火経(心経)が虚している場合は、体全体が虚すということになるわけです。五臓の中で火経だけを今まで離して考えているわけです。つまり火の虚証、火の実証は立てないことになっています。ところが火経の虚というのがあるわけで、火が虚すと健忘症とか不眠症というのが出てきます。だから火経を使わないという今までのやり方は、今後考えていかなければならないとおもいす。火経の代わりに心包経を使うなどというのはナンセンスです。現に経絡があり、心経にはちゃんと反応点が出ているのですから。少海、神門とかあるいはげき穴です。げき穴はずれていることが多く、少海穴の下三寸くらいです。
火経の実証というのほはとんどぶつかりませんが、虚証はあるわけです。従来、この問題は避ける傾向がありましたが、肝と心の虚というのは現実にあるし、今後は作るべきだとおもいます。心虚証に木経を使うか使わないかの判断は、肝経も虚していれば使います。それではどの穴を使うかというと、肝経は土穴の太衝あたりがいい。行間は瀉になりやすい。心経は土穴の神門です。心経の反応点の出ているところも上手に使います。
もう一つ面白いのは肝虚証のときにどうしても心包経に出ることです。それがやはり三陰三陽の考えで、厥陰経が上下通じていると考えます、太陰脾経と太陰肺経が胸でつながっているように。」「心虚証のときは、心経の少府と、肝経の行間を補う。」「八木下勝之助氏・・・肺が虚していれば肺を補い、心が虚していれば心を補い・・・神経衰弱の時は肺経と心経の虚がしている場合が多いから、肺経の太淵、尺沢、心経の神門を補う・・」

・昨年会で講演をお願いした日本内経学会の佐合先生から興味深いお話を伺いました。
20世紀後半に中国河南省の「馬王堆漢墓」から出土した一連の古医書には経脈は11本しか書かれていませんでした。無かった経脈は「手厥陰脈」でした。こうしたことから内経編集以前の時代には現在の「手厥陰心包経」が「手少陰心経」として認識されていたのであり、本輸篇に記述されていること、即ち「心は中衝より出づ~」以下の記述は当時の認識をそのまま文章にしたものに過ぎない。心と心包の関係等は十二経そろったあとの後世の人間が書き足したものであろう。そういう認識が日中の古典研究者の間ではすでに共通のものであるそうです。確かに説得力の有る説です。そうであるとすれば昭和の経絡治療家が心虚証否定のよりどころとしてきた、霊枢・邪客編の文章は又別の角度から解釈する必要がある様に思えます。
※ちなみに難経六十六難でも「心の原は太陵に出で」、霊枢九針十二原篇にも「陽中の太陽、心なり。其の原は大陵に出づ。」となっています。このように原典の中では繰り返し心の経穴と称して現在の心包経の穴名が挙げられているのです。歴代の医家は概ねこれは古代人の書き損じであろうと解釈していたようですが、こうした文章はすべて十二経絡説以前のより古い時代の文章がそのまま残っているものである、と解釈されるようになったというわけです。