心虚証の研究・11「心と五志に関する考察」

※心と五志に関する考察
・心の志は喜であるとされていますが、あまり杓子定規に考えない方がよいと思います。心の志が喜であるとばかり言っていては、心を多くの心身症と結びつけることは難しくなります。古典を読むと心はしばしば憂愁思慮、恐懼といった感情とも結びつけられています。さらに霊枢・口問篇では「人の哀しみて泣涕《きゅうてい》出づるは、何の気か然らしむる。岐伯曰く、心なる者は、五蔵六府の主なり。・・・・故に悲哀愁憂すれば則ち心動き、心動けば則ち五蔵六府皆揺らぎ・・・・」とあり、また霊枢・本神篇には「心気虚すれば則ち悲しみ、実すれば則ち笑いて休《や》まず、」と悲しみと結びつけた記述も少なくないのです。心気が実すれば喜笑が止まなくなるというのは発狂に類する極端な事象を含むものであり、臨床室では見かけることが比較的少ない様に思います。一般的には心は神志を司る故に深く長期に亘る負の感情は心の精気を傷つけるものだ、と考えて良いと思いますし、そのような解釈で病理を観察することで、より広い範囲の病に心の弁証を適応することができると考えています。

4.中医学との違い
(1)中医学で心は多くの弁証を持ちますが、ここではそうした弁証のすべてを四大病形の中に落とし込むことで、簡潔に分類して論じることとします。即ち冷えと機能低下によるものを心虚陽虚証とし、熱と滋養障害によるものを心虚陰虚証と分類したうえで、その範疇の中でその他の類型に関してもできるだけ言及するようにしました。
他臓腑との関係考察では、中医の薬方を参考にして論じました。日本の鍼灸関係では心に虚無し、という事で長年心に関する臨床的な研究がなされてこなかったので、こういう類の参考とすべき文献がなかったからです。一方中国では心は外邪が入らないので、内因と他臓器との関係によって病むのだ、と捉えて研究がなされ治療に用いられてきました。その違いも垣間見ていただきたいと思います。
(2)中医学の教科書は1960年代の文化大革命(文革)の時期に編集されたものです。文革期には古代思想は宗教と同様に迷信として激しい批判と攻撃の対象となりました。1人1人が良き革命分子であることを証明しなければ迫害され、命を奪われる。そのような社会情勢の中での作業は編集の上にも大きな影響を与えたように思われます。